昏き墓穴の底で

 

そこに光と言う光は無かった。

ただ漆黒の空間だけが、気管を圧迫するように存在していた。

その濃密な闇は、獏良の心になぜか安堵感を与えた。

自分には全く縁遠いはずの、憎悪、恐怖、悲嘆、孤独、そして色濃い絶望が漂っていた。

なのに、何故だろう、この既視観は。

『あいつ』の心の部屋も闇で覆われていたが、これ程の圧迫感は無かった。

これは・・・哀しみ・・・?

 

ぼんやりとした存在でしかなくなった今の獏良を、ぼんやりとした光が捕えた。

 

誰か・・・そこに・・・

 

誰かが・・・泣いてる・・・?

 

手を伸ばそうとして、獏良はその光の正体を知った。

 

ああ・・・君だったのか・・・そうか・・・ずっとそこで・・・独りで泣いていたんだね・・・

寂しかったろうに・・・

 

だが、この手は届かない。

 

それは獏良が一番良く知っている。

 

なぜなら・・・『彼』は・・・

 

一気に、視界が開けた。

 

そこは、部屋だった。昏い部屋だった。

淀んだ冷たい空気が足下を這い、何とも言い知れぬ禍々しい闇が部屋全体を覆っていた。

仄かな蝋燭の灯りが一つ、二つと部屋を照らしていたが、其れが余計にこの部屋を闇で覆い尽くさせている原因の様に思えてくる。

あの何も無い暗闇の方がここよりずっと明るかった気さえする。

 

淀んでいる。何もかもが。

 

狭い部屋は獏良の目には見慣れない物だった。

明らかに日本の建築ではない、石造りの柱。

天井こそ高いが、それが逆に闇をこの空間中に蔓延させているかのように思える。

四方には頼り無い蝋燭が4本立ててある。

まだ火が付いているのはその内の2本だけだった。

 

その部屋の中央に、妙に不自然に寝台が置いてあった。

 

誰かがそこに横たわっている。

近づいて見て、獏良は息を呑んだ。

 

そこに仰向けに横たわっていたのは、見覚えのある少年。

だが、その闇の中に溶け込むような褐色の肌は傷と液体に塗れ、倣岸なほどに光を放っていた薄金の髪は縺れ、寝台の上に散らばっていた。

 

「マリ・・ク・・・君?」

 

思わず名前を呼んだ。

 

だが、その美しかった紫の大きな瞳には、もう何も映っていない。

ただ宙に向けてうっすらと開かれた瞳には、色という色が欠落していた。

 

そこで初めて獏良は彼に起こっている異変に気付いた。

両手両足は寝台の上に投げ出され、脚は大きく開かされており、服らしい物は全く身に着けていない。

全身に痣や傷跡が残り、乾ききっていない体液があちこちにこびり付いている。

 

改めて彼の身体を見回してみれば、ついさっきまで行なわれていた暴力の凄惨さを窺い知る事が出来る。

空気の淀みも、これが一因なのかも知れない。

だが獏良は口を抑える事もせず、無邪気にマリクを見下ろした。

 

「・・・死んでるの?」

 

死人が返答する訳も無いだろうに、獏良は無邪気に問うた。

 

こうしてまじまじと見てみると、本当に綺麗な少年だ。

表情の欠落した貌は、恐ろしいほど良く整っている。

まるで良く出来た人形の様に。

 

自身も人形の様に美しい容姿を持っている獏良は、寝台の傍らにまでよって、その薄金の髪に手を伸ばした。

そして、寝台の隅に腰掛け、涙の跡が残る頬にそっと手の甲で触れた。

冷たい。

息があるのか、まだ良く分からない。

それほどまでにマリクは微動だにしなかった。

 

これが、あのマリク・イシュタールなのか。

傲岸不遜で、自分勝手で、冷酷無比で。

人を傷付ける事なんか何とも思っちゃいない、あの残忍な 屍食鬼 ( グールズ ) の総帥なのか。

そう、自分をあの白い部屋で無理矢理凌辱した・・・。

 

そう考えると、獏良は可笑しくなった。

 

死んだように動かないマリクを底冷えのするような、愛おしそうな瞳で見回すと、獏良はその白い貌にゆっくりと笑みを浮かべた。

それは天使のような無垢な微笑だった。

 

「・・・惨めだね。」

 

ひくっとマリクの貌の筋肉が痙攣した。

 

「・・・っ」

 

その色を喪失していた紫の瞳に、さっと光が走る。

・・・屈辱の光が。

 

その眼球だけを動かして、獏良へと視線を向ける。

何かを言おうとして、かさかさに乾いた唇を抉じ開けようとするが、妙な息しか洩れない。

喉にへばり付いてしまったかのような舌を動かし、やっとこれだけの言葉を発した。

 

「ボク・・・を・・・嘲笑いに・・・来た・・・のか・・・」

 

その掠れた声に、獏良は静かに首を振った。

 

「・・・違うよ。」

 

じっとその2組の双眸が交差する。

紫紺と、紺碧と。

 

「マリク・・・マリ君、生きてたんだね。驚かせないでよもう。死んじゃったかと思ったよ。」

全くこの雰囲気にそぐわない呑気な声に、マリクは一瞬あっけに取られた。

 

だが、すぐに気を持ち直した。

「死んだ・・・方が・・・好都合だった・・・んじゃない・・・か・・・?」

 

マリクの言葉に獏良は何も言わずににっこりと微笑んだ。

マリクは静かに戦慄した。

何もかもがちぐはぐだ、この少年は。

全く理解できない。

だが・・・

 

「ボクもね、なんでこんな所来ちゃったんだかわかんないんだよね。

まさかここがマリ君の心の部屋だったなんてね・・・今ボクどうなってるのかなあ?

ボクが此処にいるって事は、バクラは何やってるんだろ。」

 

マリクは思い出した。

自分がバクラに頼んで自分の『闇』と戦わせた事。

そしてその結果、ラーの効力を自分が把握していなかった所為で敗北した事。

そしてその後、闇の中を必死に逃げた自分は再び奴の手に捕まり・・・!

 

マリクの表情に恐怖がさした事に気付いて、獏良は首を傾げた。

「・・・マリ君?」

 

奴はまた戻ってくる。

いや、それ以前に、自分が闇の中を逃げている間、奴は何をしていたのか・・・。

 

「バクラ・・・」

マリクは掠れた声を上げた。

 

BACK >> NEXT