マリクの口から洩れた名前に、獏良は思わず反応する。

 

「・・・っ」

マリクは獏良を見上げた。

きょとんとした綺麗な貌には危機を察知する能力など持ち合わせていないようだった。

 

・・・こいつが。

こいつが『あいつ』の一番大切な人間・・・。

 

自分を凝視しているマリクに、獏良は困ったような笑みを浮かべた。

 

少女のような、人形のような、エジプト人のマリクからすれば、彫りの浅い、何を考えているのか全く不明の整った白い貌。

折れそうなほど華奢な手足は闇人格に変わると、多少逞しくなってしまうのだろうか。

いや、物理的な変化が無くとも、精神の違いで人の力など変わる。

それは自分も嫌と言う程思い知らされた。

 

この少年が・・・

 

壊してやろうと思った。

バクラがそこまで執着する、『宿主』とやらを。

彼等に近づけば近づく程思い知った。

そこに自分の入る隙は無い。

バクラが自分と寝たのも、自分の興味を宿主から逸らす為だったと考えれば、全ての辻褄があってしまう。

自分で宿主の腕を傷付けたのも、自分以外の人間に傷付けさせない為の、『これ』は自分だけの物だという意思表示。

バクラはおそらく本人が自覚している以上にこの宿主を愛している。

どうしようもないほどに。

到底敵わなかった。

 

また、自分は置き去りにされてしまうのか。

『墓守の一族の跡取』と言う肩書き、『グールズの総帥』と言う肩書きが無ければ、自分と言う存在は無価値なのか。

背中の碑文や千年ロッドが無ければ、自分は用無しなのか。

ただの気晴らしのセックス相手でしかないと・・・

 

怖かった。

ひたすら。

認めたくなかった。

 

だが、分かってしまったから。

 

マリクが何かを決意し、言葉を発そうとした時、獏良は再び全く緊張感の無い声で呟いた。

 

「あっ、そーかも。」

 

「は?」

 

出端を挫かれたマリクに、獏良はにこにこと話し掛けた。

「ボクが此処に来ちゃった理由、分かったかも。」

 

これが自分を凌辱した男の心の部屋で、ボロボロになっている男に対して話す態度なのだろうか。

マリクが唖然として次の台詞が発せないまま、獏良は世間話のように、言った。

 

「ここ、ボクの部屋に似てるんだ。」

 

マリクは一瞬獏良が何を言っているのか理解できなかった。

 

「ボクの部屋ねえ、ここと全然違うみたいなんだけど、どっか似てるんだな。物がある様で何にも無い所とか。色が一色しか無い所とか。」

 

マリクははっとした。漸く分かってきたのだ。獏良の言わんとしている事を。

あの、獏良の部屋・・・真っ白い心の部屋を・・・

 

「ここもね、何も無いよね。」

 

獏良はお弁当の中身の話のように、無邪気に言って、笑った。

 

「・・・。」

 

確かにそうかもしれない、とマリクは思った。

あの、恐ろしいほどに白い部屋。

人形や玩具が床に所狭しと転がってはいるが、それには何一つ、『物としての気配』すら無かった。

精神病院・・・

イメージする世界はそんな感じだった。

床も、壁も、天井も白く、一点の曇りなく白く、そして窓一つ無い部屋は空虚を通り越して、この世の物とは思われなかった。

 

そう、この部屋も色こそ白の反対色、黒ではあるが同じ様に何も無い。

寝台も、蝋燭も、全て『ただそこに在る様に見せかけてある』だけで、本当は何も無い、空っぽの部屋なのだと・・・

 

ああ・・・墓穴だ。

 

マリクは悟った。

 

自分と・・・この少年の心の部屋は墓穴だったのだ。

埋めるべき死体はまだ生きて動いてはいるけれど・・・

 

生きた屍。

 

マリクは可笑しくなった。

 

自分をめちゃくちゃにした、この少年をめちゃくちゃにした、闇から生まれた埋葬し忘れた死霊である、バクラと闇のマリクの方が、どれだけ『生きて』いるのだろう。

 

だったら尚更・・・

自分の作り出した死霊に彼を喰わせてはならない。

もうこれ以上、犠牲者を生みたくない・・・

せめて、バクラの愛しているこの少年だけは・・・。

 

「獏・・・良・・・ここに・・・いちゃいけない・・・早く・・・あいつが・・・戻って・・・来る・・・前に・・・」

 

「あいつ?」

 

きょとんとした獏良の後ろから、地を這うような声が、聞こえた。

 

「・・・まさかオレの事かなあ?」

 

マリクは喉に息が貼り付いた様な声を出した。

 

獏良は状況が分かっているのか居ないのか、いつの間にか自分の背後に立っていた存在に、呑気に声をかけた。

 

「あ、キミは・・・えっと・・・闇のマリ君?」

 

「ご名答。」

闇マリクは、嬉しそうに笑った。

 

そして、そのままぐいっと獏良の顎を掴んで自分の方に向き直らせる。

 

「だが、何でお前がここに居るんだ?ここはオレと主人格様の愛の巣なんだぜえ?勝手に侵入してこられちゃ困るんだがなあ。」

 

そう言いながらも、顔は嬉しさを堪えきれないで居るようだ。

散々バクラを痛めつけて、手に入れてやろうと思った男が、こんなにあっさり手に入るとは。

飛んで火に入る夏の虫とは正にこの事だ。

 

「不法侵入者には罰ゲームだな・・・」

そう言ったまま、闇のマリクは獏良の白い首筋をべろりと舐めた。

 

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