さよなら

 

 

マリクは深い闇の中を歩いていた。

一面漆黒で覆われた、闇しかない空間。

それでもこの闇は前ほどの呼吸器を閉めつける様な息苦しさを感じない。

そう、わずかに薄くなったようだ。

この長い廊下の行き着く先は分かっている。

あの、場所。

自分がずっとその存在を否定し続けてきた心の牢獄だ。

5年間『奴』が幽閉されていた・・・。そして今の今まで自分が閉じ込められていた、あの空間。

絶望と狂気がどす黒く淀んだ、哀しみの記憶の産まれた場所・・・。

 

自分が何故そこに向かっているのか、マリクにはわからなかった。

全ては終ったはずではないのか。

自分のサレンダーで『奴』は跡形も無く消え去った・・・。

 

でも、誰かが自分を呼んでいる。

 

吸い寄せられるようにして暗い廊下を歩く。

ここは、5年ぶりに『奴』に再会した場所だ。

そしてこれから向かう場所は、『奴』に初めて凌辱された場所・・・。

それでも足は止まらない。

 

そして、その場所へ着いた。

 

殺風景で、薄暗く、狭く、禍々しい闇を感じさせる小さな部屋。

自分が6年前『墓守の儀礼』と実父からの虐待を受けた部屋を模してある。

そう、今ではマリクは自分の傷跡を全て思い出していた。

もう偽らなくても生きていける、全てを受け入れる覚悟が出来たからこそ、あの『闇』に打ち勝つ事が出来たのだろう。

自分の心の『闇』。

それは父親からの虐待と、地下深い生活から逃れられないと言う『苦痛』、『憎悪』、『怒り』、『悲しみ』、そして『絶望』から産み出されたものだった。

『闇』は全ての破壊を望んだ。

自分以外の全ての命の破壊、そして自分の主人格たるこの『表のマリク』そのものの命も・・・。

そして5年前父を殺した。

その事も今では受け入れる覚悟は出来ている。

その罪から逃げるのではなく、背負って生きていこうと・・・。

そう、もう偽った過去や自分の封じ込めた闇を恐れる必要は無い。

だからだろうか。

この場所に来ても恐怖はもう感じない。

 

ただ、この冷気はなんだろう・・・。

今までこんな冷たい冷気がこの部屋を覆っていただろうか・・・?

 

一面霧のような靄のような冷気が渦巻いていて、マリクは思わず身震いをした。

しかも、その色は血のような赤だ。

 

その時、その赫い霧の向こう側に人影が見えて、マリクはびくりとした。

 

「・・・?」

 

気味の悪い鮮血のような冷気を掻き分けてマリクはその奥へと進んだ。

そこにいたのは・・・。

 

「!!」

 

「・・・ククク、全くこんな事になろうとはなあ。計算外だったよ、まさかお前にそんな精神力が残っていようとはな・・・。

このオレが負けるなんてよ・・・。」

 

自分と同じはずなのに、よりくぐもった地を這うような暗い声。残忍に、そして楽しそうに笑うこの声は・・・!

 

マリクは一瞬ギョッとして後退った。

まさか、あの『闇』が・・・!

あの時確かに消え去ったはずなのに・・・!

 

その言葉を読み取ったかのように『闇』は言った。

「確かにな・・・あの時オレはお前のサレンダーによって消滅させられた。全く忌々しい事にな・・・。

だが、まだ完全には消えなかったって訳だ。この部屋に残った残留思念はな・・・。」

 

その言葉にマリクははっとした。

そして、赤い霧の向こう側から自分の作り出した邪悪な人格、『闇マリク』の姿がはっきりと浮かび上がってきた。

 

その姿を見てマリクはおもわず息を呑んだ。

 

この冷気の正体は、闇マリクの体から発生している物だった。

壁に寄りかかるようにして立っている闇マリクの体中から、血が気化したような冷気が立ち上り、まるでその部分が削げ落ちるように体のあちこちが消えかけていた。

まだ体のほとんどはあるものの、全てが消え去るのも時間の問題だろう。

 

その凄惨な姿に、マリクはごくりと唾を飲み込み、また一歩後ろへ退いた。

 

マリクの様子を見て、闇マリクはクククと喉の奥を震わせて笑った。

 

「・・・オイオイ、逃げるのか?酷いなあ、主人格様よお。オレをこんな姿にしたのはお前だろう?全く誤算だったぜ。

『究極の苦痛と快楽』のゲーム、まさかこのオレが究極の苦痛を味あわせられる羽目になるとはなぁ・・・。」

 

そう言って闇マリクは一歩足を踏み出した。いや、踏み出そうとした。

その瞬間。

 

前に出した右足が、凄まじい量の冷気を放って気化した。

 

「うぎゃあああああああ!!!!!」

 

絶叫が冷気で一面赤く濁った部屋に響き渡った。

 

「ぐああああ、ひいいっ・・・うう・・・うあああ」

 

凄まじい激痛が闇マリクを襲っているのだろう。

全身ガクガク震えながら必死で無くなった右足を両手で掻き合わせようとするが、ただ虚しく赤い蒸気の中を腕が素通りするだけだ。

 

その凄まじい様子にマリクはもう23歩後退る。

闇マリクは脂汗に濡れた顔をあげた。

 

「オイ・・・!待てよ!行くな!!オレの話はまだ終っちゃいねえ!!」

 

掠れた声を振り絞り、闇マリクは叫んだ。

 

「主人格様・・・どうにか出来ねえのかよ!元はと言えばお前がオレを産みだしたんだろ!?だからどうにか出来るんじゃねえのか!?

お前のサレンダーでオレのライフはゼロになったが、それはあくまでデュエルの中でだろ!?

この精神世界ならなんとか生き延びられる方法はねえのかよ!!」

 

必死で取り縋るかのように闇マリクはマリクに呼びかけた。

 

マリクは黙ってただ首を振る事しか出来ない。

そもそも闇のゲームの敗者はその時点で闇に消える。

ここに奴の残留思念が残っていられる事すら奇跡に近い。

それだけ消えたくないのだろう。

これだけの苦痛を引きずってまで自分に会いに来たのか、バクラに言われるまで自分の中の生きる意志にすら気付かなかったマリクは複雑な心境で闇マリクを見下ろす。

 

だが、闇マリクにはそれは最終通告に映ったようだ。

みるみる表情が絶望で塗り潰されていくのが分かる。

 

「・・・嘘だろ、なあ、見捨てないでくれよ、主人格様!」

 

必死で延ばした右腕が、また真っ赤な冷気を放って消滅する。

 

盛大な悲鳴をあげ、闇マリクはその場に膝を付いた。

ぼたぼたと汗が垂れる。ガチガチと合わさっていない歯の根の間から唾液も流れ出ていた。

 

「ひっ・・・うっ・・・ク・・・ソ・・・何で・・・何でだよ・・・折角・・・表に出れたのにぃい!

こんなのって・・・こんなのってないぜ!!なあ!主人格様!!」

 

HOME >> NEXT