あたり一面は、濃い闇で覆われていた。
その点においては、あの部屋と変わらない。
だが、決定的に異なっていたのは、その色だった。
あの部屋を覆っていた重苦しい黒い闇とは異なり、ここにあるのは空恐ろしいほど純粋な白だった。
天井も壁も床も白く塗り潰された、どこか病室を思わせる白い部屋、その中央にまさに病室のような簡素なベッドがあった。
その狭いベッドの上に、乱れたシーツに包まって、2人の少年がぴたりとくっついて寝ていた。
その長い髪も、剥き出しの肌も、同じ色。この部屋と同じ様に真っ白だった。
全く同じ顔をした2人の少年は、しかし、全く違う空気を纏っていた。
「・・・ねえ、バクラ・・・」
少年の一人が呟く。
少女のように甘い顔、声変わりしていないかのような高い声、深い海の底のような瞳。
華奢な手を伸ばし、もう一人の少年の頬に添える。
「・・・なんだよ。」
もう1人、全く同じ顔をしているはずなのに、どことなく違う、もっと刃のように鋭利な雰囲気を纏っているのは、その瞳が血の色だからだろうか。
声も、心なしか低く、きつい。それでも冷たい感じはしない。
「・・・このままでいいの?」
少年は、問う。自分と同じ顔をした少年に。
「何がだよ。」
もう一人の少年は苛付いたように聞き返す。
「・・・わかってるくせに」
少年は僅かに苦笑する。
がっ
その途端、少年は腕を掴まれベッドに押し付けられる。
彼の上に圧し掛かるようにして、もう一人の少年が少年を見下ろした。
血のような瞳がぎらぎらと凶暴な光を放っている。
「・・・あいつの事か?!知ったこっちゃねえ。あのガキが今頃あの野郎に何をされてようが、オレ様の知ったことか!
大体あのガキが自分で蒔いた種じゃねえか。それに付きあわされたこっちはいい迷惑だぜ!!」
赤い瞳の少年は忌々しそうに吐き棄てた。
そしてそのまま唇を自分の下に組み敷いている少年の白い肌に這わせる。
まるで、忌々しい悪魔に付けられた『痕』を消毒するかのように。
「でも・・・」
その唇の動きに反応する事無く、あくまで言い募る少年の口を、赤い瞳の少年は自分の口で塞ぐ。
少年は激しい口付けに抵抗する事無く身を委ねながら、再び自分の体をまさぐろうとしている手を制そうとした。
赤い瞳の少年は舌の動きをきつくして行く。喉の奥まで舌を入れられて呼吸が苦しくなり、
少年はもがいて身体を離そうとするが、もう1人の少年はますます身体をきつく押し付けてくる。
「ん・・・っ・・・んはぁ・・・ちょ・・・っ苦し・・く・・・いよ・・・バクラ・・・!」
名前を呼ばれて少年はやっと唇を離したが、糸の様な唾液が橋の様に2人の舌の端を繋いでいた。
荒い息の少年には構わず、バクラと呼ばれた少年は唾液が混ざり合ったままの唇で耳を甘く噛む。
「・・・マリ君、消えちゃうかもしれないね・・・」
ぼそりと呟いた少年の言葉に、バクラは唇を離した。
「お前なあ!その名前を言うな!!」
「・・・なんで?」
少年の無邪気な問いに、バクラは溜息を落とした。
「宿主・・・あんな事されてまだあいつの肩を持つのか!?大体何であのガキの心の部屋なんかに居たんだよ!
のこのこ犯られにいくなんて、ノー天気もいい所だぜ!本当に考え無しで行動するんじゃねえよ!」
罵声を浴びせるバクラに表情一つ変えず、彼の宿主獏良了はまたあの透明な微笑を浮かべながら言った。
「でも、結局君が助けに来てくれたから未遂だったじゃない?」
「バカかてめえ!オレ様が助けに行かなかったらお前、犯られた所じゃすまねえぞ!あいつは異常者なんだからな!
マジでバラバラにして殺られてたかもしれねえんだぜ?!その事わかってるのか!」
その言葉に獏良了はくすりと笑う。
「有難う、助けに来てくれて。」
「・・・。」
バクラは絶句した。次に何を言おうとしたのかどうでも良くなった。本当にこの笑顔には敵わない。
逆転した立場に追い討ちをかけるように獏良はにこにこしながら言った。
「でもさあ、元々ボクの身体を勝手にマリ君に貸したのはどこのどいつだろうねえ。しかも腕ブッ刺してさ。
それでボクの身体でマリ君をさんざ抱いておきながら、ボクが表のマリ君に犯されるのは黙って見てたって事?
しかも今ボクの身体が無いのは、君がマリ君にほだされて闇のマリ君と闇のゲームをした挙句負けちゃったからじゃないか。
人の事言えないんじゃないかなあ?ねえ、居候?」
痛烈な嫌味にバクラは黙り込んだ。全てが獏良の言う通りだ。何も言い返せない。
「・・・つべこべウルセエよ!オレ様はお前をただ利用してるだけなんだよ!何しようと勝手だろ!ああ、気がそれた!もう寝るぜ!」
遂に逆切れして、バクラは身体を了の上から下ろし、横に不貞寝してしまった。
「くす・・・」
獏良は笑ってその背を見詰める。その白い背中には赤く腫れた傷跡や青黒くなったアザが点々と残っている。
闇世界で付けられた傷は精神世界では消える事は無い。
その痛々しい傷跡は、彼が自分を守る為に受けた傷だ。闇のマリクに付けられた傷跡は、そう簡単には消えないだろう。
彼が何をされたのかは詳しくは知らないが、闇マリクの性格を考えれば、それは一つだろう。
そうまでして守る相手が『ただ利用しているだけ』とは思えない。
でもこいつは本当に酷い奴だ、とも思う。全く彼がやってきてから自分の人生はめちゃくちゃだ。災難ばかり続く。
今だって、自分の帰るべき身体、獏良了の身体が闇に喰われてしまっているのは、ほとんどが彼の所為だ。
しかも、この行為も始めは完全に合意無しの強姦だった。
それでも、憎めない。
むしろ、愛している。
それはわかっている。
でも・・・。
獏良は最後に見た彼の顔が脳裏に焼きついていた。
(もう・・・ボクはいいんだ・・・お前ら、早く逃げろ!)
ずたずたにされた身体を引きずって、ボク達を逃がしてくれた、彼。
彼も最悪な男な事はわかっている。
ボクの身体に巣食う居候と勝手に契約を交わした挙句、友人の遊戯君達を騙す材料にし、なおかつ勝手に心の部屋に上がりこんでボクを洗脳した。
居候・バクラと遊戯君の戦いの時は、バクラを勝たせる為あえて瀕死のボクを表に出させ、遊戯君の攻撃をかわそうとした。
その上、バクラが宿主を守ろうと、彼の計画を無視してボクを庇って遊戯君にやられた後は、
腹いせにボクの心の部屋にやって来て、無理矢理ボクを犯した・・・。
全く最悪な奴だ。目的の為なら手段を選ばず、他人を利用したり、傷つけたりする事に何の躊躇いも無い辺りがこの居候とそっくりだ。
そして、どことなく悲しい目をしている所も・・・。
思い返してみる。彼の行動を。彼の言葉を。彼の表情を。
思えば、彼が自分にした事の半分は嫉妬による物だったのだろうと思う。
彼は、いつも焦っているように見えた。誰かからの愛情を必死で求めていたような。
バクラは彼にとってただの契約相手ではなかった事は、自分の闇の人格を倒してくれるようわざわざバクラの所に助けを求めに来た所からも、
最後に自分達を逃がしてくれた所からも分かる。
そう、そんな彼がもう何もかも諦めたように微笑ったあの瞬間・・・。
獏良は知らずに呟いていた。
「マリ君は・・・ホントに君に愛されたかったんだよ・・・」
「それは違うぜ、宿主。」
不貞寝していたと思われたバクラから返事が返ってきて、獏良は思わず上体を起こした。
「え・・・?」
相変わらず自分に背を向けたまま、苦虫を噛み潰したような表情をしているだろうと言う事は、声から分かった。
「あのガキはな、誰かに縋りたかっただけなんだよ。自分を闇から救い出してくれる誰かをな。
あのハゲもこのオレ様も、結局はその為の存在に過ぎなかったって訳だ。バカな奴だよ。
自分で闇を作り出しといて、その後始末も自分で出来ねえ。結局あいつに最後に残った手段ってのが・・・」
「自殺」
自分でも驚くほどの冷たい声で、獏良は呟いた。
「そうって事だ。しかもあのガキの作り出した闇は尋常じゃねえ。もうあんなのに関わるのは真っ平御免だ。」
「そうかな・・・」
獏良の呟きに、バクラは訝しそうに振り返った。
「ああん?」
「マリ君は、初めから死にたかっただけなんじゃないかあ。」
「な・・・」
明日の天気の話をするような獏良の言い方とその言葉の内容の重さに、バクラは絶句した。
「マリ君は重要な事を忘れてるけど、自分の『記憶』を誰かに植え付けるって事はその人の中に彼の『記憶』が埋め込まれるって事で、
だからボクは彼の『記憶』を全部知っちゃってるんだけど・・・。だから、彼がどんな風に生きてきたのか、ボクにはわかる。」
そう、だからこそ気付けたのだ。彼の中に潜むもう一つの『闇』を。
結果的に自分があの『闇』を目覚めさせてしまった一因にもなった。
そろそろ奴を閉じ込めておく『檻』も鍵が外れかけていたのだろうが。
「限界だったんじゃないかな・・・もう自分を偽り続けていくのが・・・
だって、彼は自分がお父さんを殺した事、完全に知らなかったって訳じゃ無さそうだし・・・」
どうしてそんな事までわかる、と聞こうとしてバクラはやめた。
この少年は人間の本心に異常に勘が鋭い。いや、これを勘と呼べるのか。
「だから・・・あいつの言っていた事は本当なんだよ。」
バクラは闇マリクの高笑いを思い出し、思い切り顔をしかめた。
(これが主人格様の本当に望んでいた事なんだからなぁ!お前らにとやかく言われる筋合いはねえよ!)
「チッ・・・くだらねえ。」
本当に下らない。どこまで腐った連中なのか。どうして、いくら生きていくのが辛くたって、そんなに簡単に自分の命を投げ出せる?
バクラは猛烈に苛付いていた。
本当にバカだ。そうやって自分を犠牲にして、何かを解決しているつもりなのか。一体何なんだ。何様気取りだ。
結局は自己逃避、自己憐憫の自己満足だ。
死にたくなかったのに死んでいかなければいけなかった連中も世の中には大勢居る。自分もそうだ。滅びるつもりは無かった。
何が何でも生きてやろう、そう言う思いが無ければ3000年間も現世を彷徨う事など出来ない。
なのに、なぜ『奴等』は死にたがるのか。理解できない。理解したくも無い。
いや・・・。
バクラは首を振った。
(オレ様は何を考えている・・・?)
「あ〜!もう止めだ!止めだ!関係無いだろ、今のオレ様にはよ!疲れてるんだ、寝ようぜ、宿主。」
「・・・マリ君は、君に救って貰いたかったんだよ。自分の思い通りにならない強い君にある意味で憧れていたんだと思うよ。」
「ああ、そうかも知れねえな!だがそこまでしてやる義理がオレ様にあるか?!お前は一体何をオレ様に期待してるんだ。
そんなにあいつが心配なら、自分で助けに行きゃいいじゃねえか!ま、もう手遅れだろうけどな。」
自分で言って、バクラはぎくりとした。
そう・・・もう手遅れかもしれない。あのガキはもう闇に全てを喰い尽くされているのかも知れない。
ファラオがあんなガキに負けるとは到底思えないが、それでも表のマリクを救い出せる可能性は万に一つも無いだろう。
なぜなら・・・奴にはもう生きる意志が無いから。
最終的に自分の闇を葬り去る為なら、自ら滅びる可能性すらある。
黙り込んだバクラに、獏良はにっこり微笑んで言った。
「闇のマリ君倒さないとボクの身体返って来ないんでしょ?君も困るんじゃないの?返してよ、ボクの身体。」