今日に息づく者と明日に死にゆく者と
 

青空が低血圧の目に染みる、早朝。
目覚めたての太陽が、信じられないほどの光を放つ。
もう、春か。

(オイオイ、今日は随分と早起きじゃねえかよ、宿主サマ)

独りごちた獏良の中で、内なる声が愚痴る。
本来は自分よりも寝付きも寝起きもいいはずの、盗賊の愚痴。
現代日本の自堕落な生活に慣れてしまったのか、と苦笑する。

「今日は出掛けるって言ったじゃないか。」

不思議な、会話。
他人には見えない、『他人』。
端からこの風景を見た人が居たら、訝しがるだろう。
でも、これは何も今に始まった事じゃない。

『彼』が来る前から独り言の激しい子供だったんだから。

(ああ・・・そういやそんな事も言ってったけかなあ。だが、何処に行くかとまでは聞いてねーぞ?行く先を言わねーんだからな。)

「・・・秘密♪」
獏良は楽しそうにはぐらかす。
自分の中で不満そうな声があがった。

「大丈夫、ちゃんと君も連れて行ってあげるから。」
そう言って、パジャマのボタンを外す。
薄っぺらい、白く透き通るような素肌の胸にかかるのは、無気味に光る、装身具にしては大き過ぎるほどのペンダント。
千年リングと言うが、『リング』と言うより妙な飾り物だ。
『リング』と言うくらいなら、いっそ指輪のような形なら持ち運びにも楽なのに、と獏良は思う。
だが、他人が持てば重いそれも、獏良の首にかかっている上ではとても軽い。
空気のように。

それでも邪魔な物は邪魔だ。
先端の尖った輪の周りに取り付く飾りが滑らかな肌を擦る。
「以前これでブッ刺された事もあったよねえ?」
着替えながら、獏良はどこか楽しげにその輪の中に宿っている盗賊の魂に呟く。
「・・・だからなんだよ。」
憮然とした声が呟く。
無視する。

立場は寄生虫と宿主。
悪霊と取り憑かれた哀れな被害者。
もっと言ってしまえば、彼の童貞はこの悪霊によって無理矢理奪われてしまったのだし、肉体関係は今でも途切れる事無く続いている。
同じ体を共有し、精神世界でしか交われない2人の関係を何と呼ぶべきなのかは不明だ。
だが、意外に獏良の立場は強い。

それは、この『千年リング』を実際に持ち運べるのは彼だからか、
獏良の人を喰ったような性格ゆえか、
それとも
バクラが、この彼と同じ名を持つ悪霊が、
自分の宿主である獏良了を愛し過ぎている為かは、
不明だ。

朝食は、食パンと牛乳、簡単にスクランブルエッグ。
簡単に済ませて、片付ける。

親も居ない、誰も居ないキッチン。
でも、『彼』が居る。

(もうちっと喰えよ、精がつかねえぜ?)
「何につけるの?君じゃないんだからさ。これ以上君に精なんか付けさせたくないよ。昨日も疲れたなあ・・・」

思い出して、甘い溜息をつく。
最初は嫌がっていた獏良も、もう慣れてしまった。
むしろ今では、認めたくは無いが、楽しい。
バクラに貪られる事が、堪らなく・・・

リリーンとリングが啼く。
(もう一回やってから出てもいいんじゃねえ?)
嬉しそうな声で、好色な盗賊が内側から誘う。
「・・・一人でやってなよ。置いてくよ?」

やはり獏良の方が立場が強い。

外へ出ると、風が強かった。
「春一番かなあ?」
(知るか)
盗賊は、少しご機嫌斜めだ。
獏良は全く気にしない。
「もうすぐ桜が咲くね」
楽しそうな獏良の声に、バクラは不機嫌そうに返した。
(・・・何が良いんだ、あんな花。白っぽくて、でも白でもなくて、中途半端な色で、すぐ散りやがって。気色悪い。日本人は何だってあんな花国民総出で愛でてるんだ。)
「そう?ボクは好きだけど。」
獏良はにこりと微笑んだ。
バクラが何よりも愛す、その色の無い笑みで。
白い、儚い笑みで。

獏良は駅まで行き、そこから電車に乗った。
幾つかの駅を通り過ぎ、また乗り換えて、地下鉄に乗り、3つ目の駅で獏良は地下鉄を降りた。

(・・・。)
バクラは思い出した。
去年もここへ来た。
一昨年も。

そこから獏良は歩いていく。
慣れた道だ。
迷う事は無い。
途中で小さな花屋に立ち寄り、小さな花束を買う。
いつも同じ、彼女の好きだった黄色のフリージア。
そこから細い裏道に入る。
小さな路地を幾つも通り抜ける。
休日だと言うのに人影が全く無い。
日の中に眠ったような町だった。
日向ぼっこをしていた猫が、獏良の方を見て、慌てたように去っていった。
バクラの影でも見えたのだろうか。

しばらくして、枯れ木の鬱蒼と茂った所へ来た。
僅かに芽を出している物もあるが、まだ三月の中旬、剥き出しの茶色い枝に覆われた木がほとんどだ。
その木々の向こうから見える、いかにも日本風の、錆びた建物。
エジプト人のバクラから見れば、一体なぜ朽ちたようなまま放っているのか理解不能だ。
日本以外の国ではいつでも鮮やかな色に塗り直している所もあると言うのに。
錆びた緑青をそのままに、朽ち果てる生命そのままに、こじんまりとした寺があった。
そしてその向こうには墓石が並んでいる。

(そうか・・・今日は、お前の妹の命日か・・・)
バクラは気付いた。
(でも墓参りなら、何もこんな早くに来なくても・・・)
始発の電車になど乗ってこなくても良さそうな物を。

バクラの問いに、獏良は淡々と返した。
「母さんに会いたくないから。」

(・・・)
バクラは獏良の冷静さに、むしろ苦い気持ちがじりじりと胸を焦がすのを感じた。
それが何と言う感情なのか、バクラに名付ける術は無い。
3000年前からこう言うことに関しては不器用な男なのだ。
だが、兎に角気に入らないという事は、分かる。

(母親が、お前が妹を殺したって思ってるからか?)
「それもあるけどね・・・」
バクラのダイレクトすぎる問いに苦笑しながら、獏良は呟いた。
「天音には・・・一人で会いたいんだ。」

バクラは言わなくてもいい事が口から出てしまうのをあえて止めなかった。
(ここにお前の妹はいねえよ。)

「分かってるよ・・・」
そう、そんな事は獏良は嫌と言うほど分かっているなどと言う事は、バクラもわかっていた。
死んだ妹に、まるで生きているかのように手紙を書き続ける獏良を、最初バクラは嫌で堪らなかった。
死んだ人間が生き返る事は決して無いのに、自己満足で交渉を試み続ける行為は愚かしさ以上に嫌悪感をもたらした。
意味の無い、虚しい行為。
確かにこの綺麗な宿主は、幼い頃は死者の言葉も聞けたと言う。
だからバクラの言葉も届いたのかもしれない。

だが、バクラには関係が無かった。
彼の今の宿主がその事でどんなに苦しんだかも。
そして、そんな事は彼が宿主を決めた理由と何の関係も無かった。

(理由なんか、特にねえよ。)

だからあの日声が届いて、純粋に嬉しかった。
正に、獏良が死んだ妹に転校初日の事を手紙で報告していたあの時。
そして、自分の声は通じた。
通じた、けれど。

バクラが考え込んでいる間に、獏良は天音の墓の前まで来た。
享年10歳。
子供用の小さな墓石と地蔵が、あれから3年も経ったとは思えない程綺麗なまま悲しみを再現している。
母親が良く来るのだろう。
可愛がっていた娘の死は母にどれだけの悲しみと絶望を植え付けたのか。

「・・・ゴメンね」

誰とは無しに、獏良は謝った。
そして、買ったばかりの花を手向ける。

バクラは、気を利かせて奥に引っ込んでいようかとも思ったが、その言葉は耳に届いた。
(・・・なんでお前が謝るんだ)
僅かに怒気を含んだ声。
獏良は困ったように曖昧に微笑んだ。
(お前が殺したんじゃないだろ!!)
「でも、ボクが殺したような物だ」
(お前の妹が勝手にトラックに轢かれたんだろ!?お前が責任を感じる必要なんて何処にもねえじゃねえか!!)
「・・・」
(母親だって妹の死を認めたくなくて、てめえに罪をなすりつけただけじゃねえか!そんなのに振り回されんなよ!!)
獏良は相変わらず曖昧に微笑むだけだ。
そして、静かに言った。

「ありがとう」

一瞬、バクラは言葉に詰まった。
(何で、礼を言われなきゃなんねーんだ?)

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