<3日目>

早朝カイロ空港から空路でルクソールに発つ。

今更解説も要らないと思うが、古都ルクソールはアテムがいた第18王朝を含む新王国時代に首都だった都。

私の小説ではワセトと言う古名を使っている。

ここからは私達母子2人だけで、エジプト人ガイドのナーセルさんがガイドをしてくれる。

30才前後くらいの非常に背の高い男性で日本語はペラペラ。
朝が早すぎてクラクラしている所、カイロに帰る日にフライトの調整で早い便があるかも知れないから観光スケジュールをずらさないかとナーセルさんに提案される。

優柔不断さで母親に呆れられながら結局今日にスケジュールを詰める事に。
ルクソール空港からバンでルクソール西岸へ向かう。

カイロもそうだが、エジプトでは東岸が生者の国で、西岸が死者の国、ネクロポリスなのだ。

車窓から覗く風景はのどかだ。

延々と続く畑には何が植わっているのだろうか。

カイロ付近の田舎と違い、ゴミが散乱していないのが良い。

途中で何回か検問らしき場所を通る。

エジプトの警官・・・と言うより軍人の着ている軍服は全身黒くてカッコ良い。

近くで見るとメッシュ素材で、あれが違った素材だったらもっとカッコ良かったのだろうが・・・。

やがてメムノンの巨像の前にバンが止まる。他に誰もいない。

一度崩れて積み上げられた石の隙間から通る風の音が、トロイ戦争の英雄メムノンの戦死を嘆く母の嘆きに聞こえたからその名が付いたとガイドの解説。

大体にして古代エジプトの文物の名称は後に書き記したギリシャ人の手が加えられている物が多い。

人懐っこい犬が纏わりついて来た。


その後貴族の墓へ。やはり誰もいない。

民家の地下に突如として発見されたと言う貴族の墓に向かうのに普通の民家を突っ切る。

ここら辺にはそう言う遺跡がまだ沢山眠っているのが確認されているが、人が住んでしまっているのでなかなか発掘が出来ないのだと残念そうなガイド。

そりゃあ住民としたら突然立ち退けと言われても迷惑な話だろう。

佇むロバを横目で見ながら、民家裏手に突如として地下神殿が。

階段を下りる。

ラモーゼと言うその貴族はかのイクナートン、アクエンアテンの宰相だと言う。

アテムがアクエンアテン、若しくは彼の一つ後のファラオがモデルだと言うのは既に通説である。

アクエンアテンは一神教を導入し、力を持った神官団の勢力を削ぐ為に遷都までしたが、彼の死後復権した勢力によって王名表から名を削り取られたファラオである。

世界で初めて一神教を始めたと言われるからか近年非常に評価が高い彼だが、軍事面で他国からの侵略を許した点や、一種狂信者としての見方も出来る。

ガイドから「新王国時代分かりますよね?」と言う非常にレベルの高い(笑)説明を受ける。流石カイロ大卒のエリートだ。

時代的にはアテムの時代周辺だと思い、強いて言えばこの宰相はシモンに当たるのだろうか。

様々な問題で国政が揺らいだ時代の宰相と言えば苦労も多かっただろうが、豪奢なかつらを被った娘や妻の壁画は美しい。

狭い空間にはびっしりと様々な壁画が残っている。

有名な泣き女の壁画には、胸を出し、大地に平伏し泣き叫ぶ女性の姿が残るが、その風習は田舎にはまだ残るとガイドに聞いてビックリ。

夫を亡くした妻は大地の土で顔を汚し、服を裂いて嘆くのが慣わしだと言う。

イスラム時代なっても古代エジプトと変わらないのか・・・。服を裂くなどイスラムではタブーとされそうなのに。

45千年もの間変わらない風習にエジプトの歴史の長さを痛感する。

この村の人なのだろうか、色の黒い薄汚いおじいさんが絵葉書を売っているので母が何となく買ってあげる。

実はこの村こそが、あの「クル・エルナ村」のモデルとなった「エル・クルナ村」である事が帰国後暫くした後に判明したのである。

その時の私の狼狽っぷりは日記を読んだ方ならご存知だろうが、私はショックで二の句も継げなかった。

「盗賊王の生地・・・むしろ聖地に行っておきながら、私は何もしなかったのかよ!!!」

と言うか自分の勉強不足と無知っぷりに愕然。

確かに付近に畑は無く周囲は不毛の大地だけで、通常の農業や放牧で暮らしていないだろう事は容易に想像付いた筈。

しかも民家の地下に墓があるなんて、完全にそうとしか考えられない。

だが私の中でイメージが完全に固まってしまっていた為、現実を見ても全く発想すら湧かなかったのだ。

そりゃ「あの」クル・エルナ村とは違うのは当然だけどさ・・・。

もっと谷間にひしめくように小さな村があるのだと思っていた。

悪名高き「盗掘村」だと言う事すら分からなかった!ガイドがこの地下には遺跡が沢山眠っていると言ったのに!

もし私がその事を知っていて、尚且つ友達か誰かと来ていたなら。

ガイド訝しがられるのも厭わず、彼と彼の同胞の為に祈っただろうか。

だが、現実の村は余りに明るく、まさかあの死霊の村だとは・・・

写真には撮らなかったが、墓の入り口の上を一匹の黒い犬がトテトテと歩いていたのが印象に残っている。

エジプトへ行った事の無い人は、あの村はこう言う所なんだと、私の写真を見て思うも良し、

いや全然違うんだと思うのも良し・・・。

私にとって、やっぱりクル・エルナ村は此処とは全然違うよ。

どうでも良いけれど、私の携帯「クルエルナ」と打つと「狂え月」と変換される。

狂った月の村。太陽の昇らぬ谷。

それがクル・エルナ。

気を取り直していよいよ王家の谷へ。

インディジョーンズが暴れそうな岩山。盗賊王も暴れそうな岩山。

正直ここまで岩山だとは思わなかった。

小さなトロッコに乗って墓の側まで行く。ツアーの観光客がワラワラいる。
最初に有名なツタンカーメンの墓に行く。

入口ではチケットを確認するオジサンが見張っている。

何処の観光地でもそうなのだが、チケットを確認する人や見張り番は色が黒く薄汚い。

階級的に下に当たる人達なのだろうか・・・。

ツタンカーメンの墓はやはりそれ程大きくないが、内部には美しい壁画が残っている。

狒々の壁画が印象に残る。

ガイド曰く太陽神を表していると言う事だが、狒々は誰の象徴だっけか・・・ラーで良いのか?

しかしツタンカーメンの墓は他の墓に隠された形で全く気付かれず、ハワード・カーターも諦めかけた時、水を運ぶ係りだった現地の人が偶然発見したと言うのも面白い。
そのすぐ近くで私達が日本を発つ直前に発見された墓の発掘をしている。

ミイラが何体も見つかったと、直接話を聞いてきたガイドが教えてくれる。

それにしてもこのガイド、ナーセルさんは何処の遺跡へ行っても仲良さそうに誰かと抱き合ったり話したりしている。

本当に友達100人いるんじゃないか。

日本人の観光客のおばちゃんが「あーら貴方!」と突然彼に抱きついたときにはビビったが。

人気者。


自由行動で好きな墓3つに自由に入って下さいとガイドに言われる。

お勧めを3つ挙げて貰う。
1つ目のお勧めが素晴らしい。

王名を忘れて後で母と口論になったが結局不明のまま。観光客が殆どいない。

緩やかな勾配の階段の両脇にびっしりとヒエログリフと壁画。色が鮮やかに残っている。

見上げると天井にも。ヒトデのような形の星がビッシリと描かれている。壮麗さと荘厳さに興奮する。

うさぎのヒエログリフがあり、非常に気になる。

奥へ奥へと進む。最奥に棺が。

その空間の神聖さと言ったら。

エジプト人の番人が一人見張っているが、後は誰もいない。

一人欧米人の女性が私達とすれ違う時、「ワンダフル!」と笑って告げたのが良く分かる。
2つ目はやや小さいが、観光客でいっぱいのラムセス9世の墓。

1つ目の壮麗さに比べ、殺した敵の首や捕虜などの壁画があり、やや物騒で不気味な感じ。

ここに眠っていた王の戦勝を褒め称える為なのだろうが・・・。

縛られた捕虜や首のない死体は浅黒く、ヌビア系かと思われる。

神官を描いたと思しき人物像には珍しい正面を向いた物もあり、奇妙な印象を受けた。
3つ目のラムセス4世の墓は時間が無くて駆け足。

壁画は美しいのだが段々感動も薄れていく。

観光客が多くて人ごみの間から首を出して壁画を見る状態になる。

内部はやや複雑だったが、やはり最初の墓より小さい。

次はかの有名なハトシェプスト葬祭殿。

ハトシェプストはエジプト史上唯一の女王だ。

またこの葬祭殿では日本人を含む観光客の死者が出たテロ事件でも有名になった。

だが何故かガイドは余り説明してくれない。

入口付近でここにあったスフィンクスは後のハトシェプストを嫌うファラオによって破壊された事と、ヌビアとの交易を示す木の切り株を説明しただけで自由行動になる。

仕方ないので勝手にブラブラして写真を撮りまくる。

日差しが高くなり、非常に暑い。

早朝のあの寒さが嘘のようだ。

余りの暑さと昨日からの疲れがどっと出て、余り丁寧に見ずに後にする。
次は休憩と称してお土産屋の石屋に連れて行かれた。

石の置物など使いようがないじゃないかと思うが、店に私達2人しかいないので断りにくい。

しつこい勧誘に辟易する私達を見ながらガイドは水パイプを吹かしている。むしろそれが欲しい。

エジプトは禁酒国で酒は飲めないが、何故か煙草は良いのでそこら中で皆煙草を吸っている。

日本人から見ると逆の発想なのだが・・・。

と言うか「酩酊作用がある物はよろしくない」とムハンマドは言ったんじゃなかったっけ?

結局母親が値切って本来の値段でネックレスを買う。言われた値段で買ってはいけない。

妥当な値段に値切ったと、後でこっそりガイドに褒められる私達。
 

その後バンで東岸に渡る。

死者の国から生者の国へと帰って来たのだ。

昼食はナイルとその向こうのネクロポリスが見えるレストラン。

帆船がゆったりとナイルを渡っている。

蝿を撃退しながらブイヤベースに似たタジンと言う煮込み料理を食べる。

トマトでシーフードを煮込んである。

タジンと言うのは鍋の名だ、と教えられたが鍋の形は結局見られず、後に「世界ふしぎ発見!」のモロッコ編でお目にかかる事になる。

北アフリカでポピュラーな料理なのかも知れない。

癖が無く美味しい。

ただしその後で出たケーキ、スイーツ類は微妙な味。粉っぽい・・・
結局この旅でコシャリは食べられなかった。

レストランで出るような料理ではなさそうなのでコシャリ屋は自分達で探すしかなさそうだったが、そこまでの勇気はなかった。

庶民の料理なので、結構地元民に交じらないといけないのかも知れない。
その後ガイドが案内した店でカルトゥーシュのペンダントにヒエログリフで自分の名前を刻んで貰う。

本物の金なので高い。

安いのを探したが結局有名なカイロのハンハリーリ・バザールに行っていないので見つからず。

流石に何も書いて居ないカルトゥーシュは無いか・・・。
その後ルクソールで泊まるホテルに到着。

フランス系のリゾートホテルだった為、異様に外観が可愛らしい。フランス人の家族連ればかりいる。

部屋は機能的なナイル・ヒルトンとは対照的にくつろぎ重視の空間。

2時間ほど午睡を取るが、全然寝足りない。

半ばフラフラしながらルクソール博物館へ向かう。

1時間ほど中を見、展示品は興味深い物も多いがとにかく疲れてしまっていて最後は階段の所に座り込んでしまっていた私。

確かここでだったと思うが、かの有名なエジプト最大のファラオ、ラムセス2世が他人の像をパクったと言う話を聞いて驚いた。

「この顔、ラムセス2世の顔じゃないんですよね。でもカルトゥーシュはラムセス2世となっている。前の時代に建てられたこの像を気に入ったラムセスが本当の王の名前を削って自分の名前を刻ませたんですね。彼はこう言う事を良くしていたそうです」

いくら気に入ったからって他人の姿をした像をパクるか普通・・・!!

ただでさえ自分の像を建てまくった事で有名なのに、なんて自己顕示欲の強い王様なんだ・・・。

それもそうだが、エジプトの像って皆同じような顔をしていると思ってたんだけど、良く見ると一つ一つ全部違う。

厳つい顔、細面の優男、実直そう、傲慢そう・・・

あのアクエンアテン時代のアマルナ芸術が写実的だと盛んに強調されているので、他は写実的では無いと思ってたんだけど、そんな事も無いのだ。

と言うかあの時代の芸術は写実的と言うより前衛的だと思うのだが・・・。

アクエンアテンの有名な壁画や像など、どう見ても宇宙人にしか見えない(笑)

その後ルクソール神殿に向かう。

夕日の沈みかけたナイルを右手に見ながら道路から見えるその壮麗な姿は目が覚めるよう。

新王国時代から何とアレクサンダー大王、ローマ時代、コプト教会、延いては砂に埋もれていた間に上にモスクが建ってしまったと言う色んな時代の聖地が一緒くたの神殿。

オベリスクが片方しかないのは、もう片方はかの有名なパリのコンコルド広場に立っているから。

ナポレオンに引き裂かれた対のオベリスクの片割れは、遠い異国の地で何を思っているのだろうか。

像はラムセス2世の像。

神殿に行っても像ではなく柱ばかり撮っているのが私流。

その時は良いアングルを探しているつもりだが、後になって見ると重要な物が一切撮られていない(笑)

観光地に行っても景色ばかり撮っている典型例。

入ってすぐ左手上を見上げるとなんと空中に続く扉がある。

この神殿が砂に埋もれていた時代に上に建てられたモスクの扉だと言う。

今でもキチンと使われていると言う。何処から登るのか、行ってみたかった。

回廊の柱。

夕日に照らされたその陰影は見る者を圧倒する。

この回廊の手前に夫婦の像があり、通常妻の方が小さい像が多いのにこれは同じ大きさであり、また妻が夫の背に手をやっている所から妻の力が大きかったと言うガイドの話だが、肝心の像を撮っていない上にどのファラオの話か忘れた。

やはり疲れていました。

奥へ奥へと神殿は伸びているが、その奥にある、いかにも古代エジプト風のファラオの壁画のカルトゥーシュに刻まれたヒエログリフを読んで見せるガイド。

アレクサンダーと読める。

ヘレニズムと言うのはギリシャ化と言う意味だが、実際はアレクサンダーが世界をギリシャ化した訳ではない。

彼もまた、エジプトやペルシアの優れた文明に憧れ、同化したのである。

それにしても寒い。

日が沈んだ途端に気温がグッと下がる。

砂漠の夜は冷えると言うが、日中のあの暑さに比べ、この温度差は確かに厳しい。

暗くなったのでライトアップされる。


その後近くのスークと言うか、土産物屋の通りに案内される。

夜なのに2人きりで放置される。オイオイ大丈夫かよと思ったが、「安全ですからー」と行って喫茶店に引っ込んでしまうガイド。

小汚くて地元の人が多い・・・と言うか観光客私達だけ??

子供の客引きが喧しい。道路のコンクリートが陥没している。

何か買おう・・・と勇気を出してショールを片言の英語とジェスチャーで値切る。

母が値切りすぎて最終的に向こうが半キレで折れた。

でも何か申し訳ない事をした気に。私には値切り交渉は向かない。

変な話だが、こう言う所で値切るなら男の人と来たいと思った。ただし父親以外と。つまり彼氏とか。

やっぱり怖いじゃないですか。別に安全だったけど・・・。

盗賊王ならどう値切るんだろうかとかちょっと思ってしまった。

容赦ないだろうが、こう言う所にこそ慣れていそうだ。

むしろ盗品を流す算段とかで、値切ろうとする闇商人にいかに高く吹っ掛けるかと言う手腕が・・・(笑)

あの人なら私の些細な鬱気分や細かい神経のすり減らしを笑い飛ばしてくれそうだと思うからこそ好きだ。

むしろ余りに豪快すぎて私が付いていけないだろうけれどね。

でも憧れる。やはり男には頼りがいを求めるじゃないか。

夢を見るだけなら自由。
結局明日の臨時飛行機は飛ばず、明日半日暇になってしまう。
ホテルで就寝。

 

 

 

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