視界がどんどん塞がっていきマリクの姿を捉えることが出来なくなった闇マリクは、置き去りにされる恐怖で泣き叫び始めた。
「嫌だああああ!!見捨てないでえ!行かないでえ!!主人格!!もうオレが主人格だなんて言わないよ!!
だから、せめてここに居させてくれぇ!!お前の心の中に!!主人格!主人格様!!マ・・・マリク!!マリクゥゥゥ!!」
恐怖でめちゃくちゃに残った腕を振り回し、何とか立とうとするが、左足ももう消えかけていて、立つ事すら出来ない。
ふわ
その瞬間、闇マリクは何かに温かいものに支えられた。
「・・・?」
不思議に思った闇マリクのなけなしの触覚に、覚えのあるさらさらと滑らかな髪の触れる感触と、温かい肌の感触が触れた。
「・・・?マ・・・リク・・・?」
不思議そうに闇マリクは名前を呼んだ。
今までは絶対に呼ばなかった主人格の本名を。
それは、自分も『マリク』であると思っていたから。
だが、今はそんな自意識すらも彼には残されていなかった。
彼の主人格であり、彼を産み出したその人である『マリク・イシュタール』は、泣いていた。
消え逝く自分の分身を抱き締めながら、肩を震わせていた。
嗚咽が咽の奥から洩れ、熱い涙の雫が闇マリクの消えかけた背中に落ちる。
「・・・?泣いてんの・・・か?主人か・・・く?なん・・・で」
もうほとんど精神が実年齢の6歳児に戻ってしまった闇マリクはとにかく自分が見捨てられていないと知って嬉しくなった。
視界も一時的に戻り、自分を抱き締める見慣れた少年の姿を感じる。
自分と同じ、誰よりも愛しい、主人格マリクの姿。
「あ・・・」
ただ、嬉しくなった。
さんざん、もう立てなくなるほど凌辱し尽くした体だったが、彼の方からこんな風に抱き締めてきてくれた事など今まで一度としてなかった。
ただの一度として。
嬉しかった。ただ。
温かかった。
ずっと触れたいと、手に入れたいと思っていた体だ。
5年間見詰めるだけだった。
だから手に入れたときは嬉しくて、欲望の赴くまま貪り食ってしまった。
そう、マリクの病んだ精神状態から生み出された闇マリクは、苦痛を与える事が最高の快楽を与える事だと思っていたのだから。
でも今は違う。
ただ嬉しい。
だから、手を伸ばそうとした。自分も抱き締めてあげようとした。
初めて触れたのは自分が生み出された6年前。
あの時本当に小さかった少年が、今はもう大きく成長している。
その美しい薄金の髪に、滑らかな褐色の肌に、幼さを残した整った美貌に、大きな紫の眼に、筋肉の引き締まった腕に、そして折れそうに細い腰に、触れようと思った。
そうして、伸ばそうとした腕は、
もう、無かった。
「――!!」
声にならない悲鳴を闇マリクはあげた。
抱き締める事すら叶わない、もう二度と触れる事すら出来ない、その事は何よりも彼を打ちのめした。
闇マリクはぼろぼろ泣いた。
すると再び涙で視界がぼやける。いや、涙の所為なのだろうか?もう、それすらもわからなかった。
「嫌だ・・・お前と離れたくないよ・・・こんな・・・こんなのって・・・」
マリクのきつく閉じた瞳からもぼろぼろ涙がこぼれていた。
「ゴメン・・・!」
何に謝罪しているのかはマリクにも分からなかった。
最後の最後まで本心に気付く事無く否定し続けた事か、彼の存在を消滅へと追いやってしまった事か、全ての苦しみを背負わせておいてその存在を忘れて生きてきた事か・・・
全てに、だった。
全てに。
けれどもう遅すぎる事はマリクには痛いほど分かっていた。
目をきつく瞑ったまま、マリクは目を開けたくなかった。
目を開けたら、もう体の半分も残っていない闇マリクの消滅までのカウントダウンが目に見えて分かってしまう。
(どうしてもっと早くに気付かなかったんだ・・・!!どうして・・・!
思えばこいつはずっとボクの事を見守り続けていてくれたんじゃないか・・・!誰よりも近くで・・・!)
完全な、すれ違いだった。
マリクが闇マリクを否定すればするほど闇マリクのマリクへの憎しみは増し、そして憎しみが増すほどマリクへの行為は激しく残虐になり、
そうすればするほどマリクは闇マリクを恐怖し、嫌悪し、否定する。そうすれば闇マリクはまた追い詰められ・・・
どこまでも続く悪循環。
誰よりもこのすれ違いに気付いていたのは実は全くの部外者である獏良了だった。
彼は闇マリクに犯されそうになりながらも、その事を指摘していたのに・・・!
気付く事が出来なかった。
マリクは激しい後悔に叩きのめされながら、必死で思った。
(駄目だ・・・このままじゃ本当にこいつは消滅してしまう・・・!最後に、最後だけでもちゃんと・・・!
目を逸らしちゃいけない・・・!もう逃げないって決意したんだろ・・・!)
マリクは目を開けた。
そして、体を少し離して闇マリクの方をちゃんと見ようとした。
だが、闇マリクは体を離されるのは不安でならないらしく、必死でしがみ付いて来る。
「大丈夫、大丈夫だよ、ボクはここに居る・・・!」
その言葉に闇マリクは力を緩めた。
少し体を離し、だがマリクは両腕で、もうほとんど感覚さえ残っているのか分からない闇マリクの背中をしっかり抱き締めていた。
2人は見合った。
同じ顔だ。
闇マリクの方が逆立っているが、同じ薄金の髪。
その褐色の肌も、大きな紫電の瞳も、顔の作りも体付きも、全く同じ。
当たり前である。
2人は元々は同じ人間。
獏良達や遊戯達の様に他の人格が外からやって来たわけではない。
なのに、全く気付けなかった。お互いの気持ちなど。
どうしてなのだろう。
だが、今はそんな事を知ったって何の意味も無かった。
片方は今まさに消えようとしている。
「嫌だ・・・マリク・・・離れたくない・・・」
闇マリクは掠れた声で言った。
「・・・ボクもだよ・・・!」
マリクも答えた。
だが、タイムリミットはすぐそこまで来ていた。
もう闇マリクの体は3分の1も残っていない。
ただ紅い霧の中に、顔の半分と胴体の一部しか無かった。