マリクは逡巡した。

何かを伝えたい。

だが今更何を?

もう時間は残されていない。

何を言っても中途半端になってしまうだろう。

余りにも沢山の様々な思いと言葉が去来し、うまい言葉が見つからない。

マリクは何も言えないまま、

もう半分しか残っていない闇マリクの唇に、

自分の唇を、

重ねた。

 

「・・・!」

 

闇マリクは驚いて大きな目を瞬いた。

 

それは、優しい口付けだった。

2人の間に何度も交わされた、濃厚で、きつく、一方的なあの口付けではなく、ただ唇と唇を重ね合わせるだけ。

 

だが、その唇から言葉以上に沢山の物がマリクの中から闇マリクの中へと流れ込んでいった。そして、闇マリクからマリクの中へも。

 

「・・・。」

 

闇マリクは、ふっと表情を和らげた。

 

もう十分だ。

これで。

最後の最後にやっと主人格は・・・いや、『もう一人の自分』は自分の存在を認めてくれた。

それだけで・・・十分だ。

思えばハナから助かる見込みは無いと知っていたのかもしれない。

それでもここへ来たかったのは、最後に『もう一人のマリク』に会いたかったから。

それだけだったのかもしれない。

だから、もう・・・。

 

シュウシュウ・・・

 

体が最後の盛大な血の蒸気を発している。

 

もう、お別れだ。

 

闇マリクはそっと唇を離した。

マリクはその顔を見た。

 

「何だ・・・主人格様、そんな悲しい顔、するなよ。最後なんだから笑ってくれよ・・・」

 

闇マリクは、言った。

 

マリクは、必死で笑おうとした。

だがどうしても泣き笑いにしかならない。

 

闇マリクは、笑った。

 

「クク、最後の最後までホントにだらしねえなあ、主人格様。じゃあ、な。もうオレが居なくても大丈夫だろ。」

 

「マリク・・・!!」

 

その瞬間、マリクはもう一人の自分である闇マリクに、自分の名を呼んだ。

それは、初めての事だった。

そして、最後の。

 

闇マリクは一瞬驚いたような顔をした。

 

そして。

 

最後の最後に奇跡が起きたのだろうか。

 

消えていたはずの体が全て戻り、完全に『マリク』になった闇マリクは、マリクに対して微笑んだ。

 

それは、見た事も無いような、静かな、そして綺麗な微笑だった。

 

「さよなら」

 

それが、最後の言葉になった。

 

光が瞬き、完全に『もう1人のマリク』の姿は消えた。

後にはただ沈黙だけが取り残された。

 

血のような霧は全て消えていた。

ただ、そこには空っぽになった虚ろな心の部屋だけが転がっていた。

そして、部屋は見る見るうちに壁が崩れ、柱が砕け、天井が落ちていった。

もう何も閉じ込めておく必要は無くなった心の部屋は急速にその形を変えようとしていた。

 

あっという間に暗く狭かった心の牢獄は崩れ去り、ただそこには何も無い地平とどこまでも続く青空が現れた。

暖かい太陽の光が呆然と座り込むマリクを照らし、穏やかな風が太陽を受けてきらきら輝く薄金の髪をなびかせた。

座っていた冷たい床は薄金の砂の大地へと変貌した。そう、マリクの髪と同じ色の。

それは正に、マリクが地下神殿から出て初めて見たあの時の風景そのままだった。

もう、闇はどこにも無かった。

 

マリクはただ、雲一つ無い奇妙に晴れやかな虚空を見詰めた。

 

もう、二度と会う事は無い。

もう一人の自分。

6年前に生み出してから、ずっとすれ違いを続け、

最後の最後に、やっと心を重ね合わせる事が出来た、

それも、最後のたった一瞬・・・。

 

悲しい、とか虚しい、とか寂しい、とか、そんな陳腐な言葉では言い表わせない感情が、マリクの胸の中を奔流のように駆け巡った。

 

「・・・。」

 

どうしようも、無かった。

どうしようも、無く・・・。

 

「うわああああああああああああああああああ」

 

ただ取り残された一人の少年の慟哭だけが、爽やかに晴れ上がる空に吸い込まれていった。

 

[完]

 

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